第4番札所 黒巌山 遍照院 大日寺

四国八十八ヵ所霊場の第4番札所「大日寺」は、歴史と文化が息づく魅力的な寺院です。徳島県板野郡に位置し、三方を山に囲まれた静かな場所に佇むこのお寺は、弘法大師が大日如来を感じ取り、彫造したことに由来します。大日寺の見どころは、木造大日如来坐像御尊体や鐘桜門、西国三十三観音像など多岐にわたり、訪れる人々を魅了します。公共交通機関や車でのアクセスも便利で、誰でも気軽に訪れることができます。この記事では、大日寺の歴史や見どころ、アクセス方法について詳しくご紹介します。さあ、あなたも大日寺の魅力を体験しに行きましょう!

目次

大日寺の歴史・由来

大日寺は、その歴史と由来が非常に興味深いお寺です。以下では、黒巌山 遍照院 大日寺の創建と由来、歴史的な修復と再建、そして黒谷寺と呼ばれた理由について詳しく説明します。

黒巌山 遍照院 大日寺の創建と由来

黒巌山 遍照院 大日寺は、815年に弘法大師がこの地で大日如来を感じ取り、約5.5cmの大日如来像を彫造したことに由来します。これは、大日寺の創建の重要な理由です。『四國遍礼霊場記』(1689)には「かつては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに荒廃していった」と記されています。このように、大日寺は歴史的な背景を持ち、その由来は非常に深いものがあります。大日寺の創建と由来は、弘法大師の信仰とその後の歴史的な出来事に深く根ざしています。

歴史的な修復と再建

大日寺は、歴史的に何度も修復と再建が行われてきました。これは、寺院が長い歴史の中で荒廃し、再建される過程を示しています。『阿波史』(1815)によると、応永年間(1394-1428)に松法師という人物が夢の託言を受けて修復を行いました。その後も、1649年に徳島の二代目藩主・蜂須賀忠英が本堂を建立し、天和・貞享年間(1681-1688)に再興されました。これらの修復と再建の歴史は、大日寺がいかにして現在の姿を保っているかを示しています。大日寺の歴史的な修復と再建は、寺院の持続的な保存と信仰の象徴です。

黒谷寺と呼ばれた理由

大日寺は、かつて「黒谷寺」とも呼ばれていました。これは、寺院が三方を山に囲まれた谷あいに位置しているためです。地元ではこの地を「黒谷」と呼び、寺院もその名にちなんで「黒谷寺」と呼ばれるようになりました。さらに、山号である黒巌山もこの地名に由来しています。このように、地理的な特徴が寺院の別名に影響を与えています。大日寺が「黒谷寺」と呼ばれた理由は、その地理的な位置と地元の呼称に基づいています。

大日寺の見どころ

大日寺には多くの見どころがあります。以下では、木造大日如来坐像御尊体、鐘桜門、西国三十三観音像、弘法大師堂、青面金剛尊像、弥勒菩薩尊像、手水舎「蛤水」、八幡祠について詳しく説明します。

木造大日如来坐像御尊体

木造大日如来坐像御尊体は、大日寺の最も重要な仏像の一つです。この仏像は大日寺の信仰の中心であり、訪れる価値があります。この仏像は1407年に造立され、通常は秘仏として護持されています。膝裏の墨書には造立年が記されており、その歴史的価値が高いことがわかります。木造大日如来坐像御尊体は、大日寺の歴史と信仰を象徴する重要な仏像です。

鐘桜門

鐘桜門は、大日寺の伽藍南側に位置する美しい門です。この門は大日寺の建築美を象徴しています。鐘桜門は欅材を用いて二層構造で建てられており、屋根は入母屋造りの本瓦葺です。再建時には前山門にあった梵鐘が上層に移築されました。鐘桜門は大日寺の建築美と歴史を感じることができる場所です。

西国三十三観音像

西国三十三観音像は、大日寺の見どころの一つです。これらの観音像は大日寺の信仰と文化を象徴しています。これらの観音像は1790年前後に西日本各地の信徒から寄進を受けて建立されました。観音像は三十三体あり、それぞれが異なる姿をしています。西国三十三観音像は、大日寺の信仰と文化を深く理解するための重要な要素です。

弘法大師堂

弘法大師堂は、大日寺の重要な建物の一つです。この堂は大日寺の歴史と信仰を象徴しています。弘法大師堂は1863年に建てられ、江戸時代末期の建築様式を持っています。寺伝によると、この堂は弘法大師を祀るために建てられました。弘法大師堂は大日寺の歴史と信仰を感じることができる場所です。

弥勒菩薩尊像

弥勒菩薩尊像は、大日寺の見どころの一つです。この尊像は大日寺の信仰と歴史を象徴しています。弥勒菩薩尊像は江戸時代に光明真言百万遍読誦記念として造立されました。この尊像は木造であり、非常に美しい姿をしています。弥勒菩薩尊像は大日寺の信仰と歴史を深く理解するための重要な要素です。

手水舎「蛤水」

手水舎「蛤水」は、大日寺の見どころの一つです。この手水舎は大日寺の歴史と文化を象徴しています。手水舎は1822年に奉納され、砂岩をくりぬいて造られた手水鉢があります。かつては湧水を引き込んでおり、白濁していたことから「蛤水」と呼ばれていました。手水舎「蛤水」は大日寺の歴史と文化を感じることができる場所です。

八幡祠

八幡祠は、大日寺の見どころの一つです。この祠は大日寺の歴史と信仰を象徴しています。八幡祠は境内内池西側に現存しており、1800年の『四国遍礼名所図会』に描写されています。この祠は当時の姿を保っており、歴史的価値が高いです。八幡祠は大日寺の歴史と信仰を深く理解するための重要な要素です。

大日寺へのアクセス

大日寺へのアクセス方法は、公共交通機関と車の両方があります。以下では、それぞれのアクセス方法について詳しく説明します。

公共交通機関でのアクセス

大日寺へは公共交通機関を利用してアクセスすることができます。公共交通機関を利用することで、環境に優しく、便利に大日寺に到着できます。徳島バス鍛冶屋原線「羅漢」下車後、約3kmの距離を徒歩で移動するだけで大日寺に到着します。バスを利用することで、車を持っていない人や運転が苦手な人でも簡単に訪れることができます。公共交通機関を利用することで、誰でも手軽に大日寺を訪れることができるのです。

車アクセス情報

車で大日寺にアクセスすることも可能です。車を利用することで、時間を節約し、快適に大日寺に到着できます。車を利用することで、公共交通機関の時間に縛られることなく、自分のペースで移動できます。徳島自動車道「土成IC」から約20分の距離にあり、駐車場も完備されています。車を利用することで、より自由で快適な旅を楽しむことができるのです。

まとめ

大日寺は、その歴史的背景や見どころが豊富な魅力的な寺院です。創建の由来や歴史的な修復と再建の過程、そして「黒谷寺」と呼ばれた理由など、興味深い情報が満載です。また、木造大日如来坐像御尊体や鐘桜門、西国三十三観音像など、多くの見どころがあります。アクセス方法も公共交通機関と車の両方が利用でき、訪れるのに便利です。

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